2013年08月24日

去年の夏

去年の夏は・・・ずっとずっと30度以上の日が9月まで続き、
小学校うさぎのチョコは2ヶ月もうちに滞在していた。
毎日出かけるときには、チョコ部屋には扇風機が首振り&断続風運転で回しっぱなし。
今年は扇風機なんかついに一度も出さなかった。
うさぎがいる時は、正直省エネなんて度外視。
うさぎがいると、あちこち●が散らばるのも困ったけど、
●をしないよりは100倍マシ、という理論とおんなじ。
うさぎがいる時はいつも緊張していたと思う。
きっと多くのうさ飼いも同じだと思う。


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昨年8〜9月の写真。うちにいるあいだ中、にゃんこにくっついて


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なぜかルカちゃんを女の子うさぎとも思い込んだのか・・・ルカちゃんにご執心。



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ルカちゃんもチョコには特別優しかったっけ。




・・・そんな感覚を久しぶりに思い出したのは・・・
「うさぎと暮らす」に、今は岩手の里親さんのもとで
「殿うさ」になっているチョコの写真が掲載され、
ホントに久しぶりにうさぎ専門誌を読んでみたから。
(「うさぎと暮らす」49号ですよ!見てね)


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「あっ、ちょんこにゃ!」
「いよいよ全国デビューにゃんか・・・」




もしまたうさぎを迎えることがあったら、
今度はこんなふうに育てよう、とか、
あれは間違っていたな、と色々思うことも多いけれど、

うちの子は(ある意味いろんな意味で)例外、
すべて世の中で言われる通りにすれば、
絶対に健康に幸せにしてあげられるという保証はない、
とも思える「ノビシロ」も心のどこかに持っていないと、
付き合わされるうさぎがかわいそう。

だって、彼ら、実験に付き合ってくれてるんじゃない、
楽しい嬉しいという気持ちで生きてくれなきゃ。


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ほかほかのぐちゃまんまが大好きで、嬉しそうな顔して食べてたっけ・・・






ニックネーム Lin at 21:42| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月07日

…まだまだだ。

昨日、街中でばったり、ずっと会っていなかった友だちに出くわした。
2年ぶりくらい。
彼女が職場を変わって以来。

彼女は以前、大学生と高校生の息子2人を連れてうちに遊びに来たことがあって、
「うちの息子たちがね、いまだに、
あの時、自分の手につんつんと鼻を押し付けてきたうさぎ、
本当に胸がきゅんとした、と話すのよ。
あの大きなうさぎも元気?」と言うものだから、
「あの子はおととしの年末に突然死んじゃってね」と返したら・・・


あらららら。
なんで?
なんで炎龍が逝って1年半にもなるというのに涙があふれるんだ。
自分で自分にびっくりしちゃった。


きっと・・・ずっと炎龍の話題は避けてて、
聞かれても話をそらして、
仕方なく死んだことを話すときにも、
まるでよくある平凡な話、みたいにしか語ったことがなかったのに、
ふいに炎龍を知っている人に会って、「あの時」と情景鮮やかに話されたもんだから、
私も構えるまがなかったんだろう。


先日も、職場の人に「そういえば、世話をしていた小学校のうさぎは?」と聞かれて、
今は遠い場所で幸せに暮らしていることを説明して、
「でもね、いまだにスーパーであの子が好きだった野菜やりんごを見るたび、
なんだか哀しい気持ちになって」と口にしたとたん・・・声が震えてしまった。

その人に「馬鹿ね、あんた。わが子を手放して」なんて苦笑されちゃった。


仕方がない。
まだまだ・・・もう少し、こういうことを繰り返して、
そしていつか、心の底から笑って話せるときがくる。



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ニックネーム Lin at 21:27| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月04日

春の陽の下で

こちらでの更新は相当お久しぶり。
でも、きっと「Lin家の掟」はご覧いただいてると思っています。
えぇ・・・負傷猫のサポートやら保護猫の養子斡旋で忙しくしていますとも。

さて、うさ飼いとしてはただいま休業中のLinさんですが、
ココロはいつもいつも「早くまたうさぎを」という野心の炎が消えないまま。
特に・・・昨年12月に岩手の里親さんの元に送り出した、元小学校うさぎのチョコのことは、
その後も里親のSさんからはいつもチョコの様子を教えていただいて、
元気な様子の写真を見るたび、いまだいちいち胸を熱くしているのですが・・・

この冬、湯たんぽやらカイロやらヒーターやらでぬくぬくで過ごし、
そしてこの連休、ウサギが走って遊べるラビット・ファームに連れて行ってもらったとのことで、
久々戸外でのチョコの姿を見せてもらいました。


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里親のSさんとラビット・ランで。
チョコにとっては4ヶ月ぶりの戸外。


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チョコ、ちょこちょこ走る。
この小さなオテテのかわいいこと!あぁっ!!!


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タンポポしゃくしゃく。
岩手のタンポポもおいしいかな?
やっぱりこの子はタンポポとクローバーには目がないようです。


この日のチョコの様子は
ラビットファームにも写真がUPされているので、
ぜひ見てね。


私はほとんど飼育小屋―戸外でのチョコの姿ばかり見ていたので、
陽の光の下でのチョコがやっぱり一番彼らしく感じ・・・
いつもいつもチョコのことを最大限に大事にしてくれているSさんに託して
ほんとにほんとに良かった・・・と今さらながらこの出逢いに感謝。
この出逢いを引き寄せてくれたM.KさんやEdyさん、応援してくれた皆さんにも大感謝。
もし私が引き取っていても、ここまで大事にしてあげることはできなかったもの。

昨年の今頃は、いまだあの冷たく汚い飼育小屋で遅い春に凍えていた小さなうさぎ。
(去年の今頃の記事を見てみて)
それが今、こんなに大事にされて、元気に王子様のように暮らしているなんて。
正直、私もここまでの大どんでん返しのハッピーエンドは想像してなかった・・・
ナニゴトもあきらめてはいけない、
求めよ、されば与えられん ですな。






チョコの普段の様子はリンクの「鸚哥亭(インコテ〜) 」ブログでご覧いただけます。
(お気に入り登録が必要です)


昨日は雪が降った北海道。
今日も5度前後の気温・・・と、これまで体験したことのない遅い春です。
桜?
つぼみすら確認できない。
でも、野草を摘めるようになったらチョコの元に送る予定です。
いつも毎年、食べなれたタンポポの味で北海道を思い出すかな。。。

もし私の摘む野草を食べさせたいという方がいたらご連絡ください。
送りますよ〜
(野草を摘みたくて仕方ないだけ・・・)




ニックネーム Lin at 00:00| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月11日

あれから

あの日から2年。

翌日だったか翌々日だったか、うちのMSの前の幹線道路を、
「東北地方災害支援」と書かれた横断幕をつけた自衛隊の重機や車両が
後も先も見えないほどの車列をなして千歳方向に向かっていた。
道内内陸の基地からの支援部隊だったのだと思う。

信号待ちをしていた人の誰かが、その車列に手を振って
「頼むよ、助けてくれよ」と声を上げたら、次々とそこにいわせた人みんなが
必死に手を振って「お願いします」「頑張れ」と次々と声をあげた。
もちろん私も。誰も彼もが涙を流して。
車両の助手席に座る隊員が、そんな私たちに微動だにせず敬礼していた姿が忘れられない。
あの時、私にできたことはそんな他者の力に頼ってすがることだけだった。

被災地での人の苦労はもちろんのこと、多くの動物たちがその後も酷い状態で命を落としていった。
あれから私は1滴の牛乳も飲んでいないし、肉も口にしていない。

被災地で行き先を失ったうさぎを引き取ろうと思っていたのに、
野良猫ファミリーの保護に忙殺されているうち、
去年、逆に被災地の人に老齢の小学校うさぎが迎えられた。

・・・やっぱり、このままじゃダメだな。
この未曾有の災害の苦しみ哀しみを、私はまだ1つも引き受けていないじゃないか。
そう思った、今日の日。


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    2011年3月の頃の炎龍とまいこ〜。
    うちの子たちを生涯幸せに守ってあげられるか、と考えさせられた。
    この年は震災に加え、ラムちゃま、ののちゃん、炎龍が次々と亡くなるという、
    辛い出来事ばかりが続いた1年でした。





ニックネーム Lin at 22:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月23日

うさぎ恋しや

お寒うございます。
北海道だけでなく、今季は全国的に厳しい寒さのようですね。

こちらは12月中から最低気温が連日-10℃以下、
ひどいときには-15℃を下回り、日中の最高気温もやっと-5℃程度という毎日。
昨日・今日はいく分寒波も和らいで日中の最高気温がやっと0℃程度に。
これでもかなり暖かく感じるのだから、
体もだいぶ寒さに慣れてしまったということなんでしょう。

この例年にない寒さで、繰り返しありがたく思うのが、
私が気にかけていた動物たちが今は皆暖かいところでぬくぬくと暮らしていること。
彼らが凍えていないか、お腹を空かせていないかという心配が一切ない冬なんて!
もし今もまだ戸外で何の暖房設備もない状態で暮らしていたとしたら、
今頃私はこの厳しい寒さの中、カイロを取り替えるために
うろうろ朝晩ほっつきさまよっていたはず。
で、絶対私が先に風邪を引いて寝込んでいたかも。

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     去年今頃のチョコ。除雪して高くなった雪山登山がダイスキだった。
     本当に去年の冬までは元気でたくましかったなぁ。
     もし・・・あのまま飼育小屋にいたら、おそらく年は越せなかったろうと確信している。


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     去年この後すぐに保護した猫たちも、吹雪の中でゴハンを待っていた。


事実、毎年年末年始頃には風邪を引いていたのに、今年はぜんぜん平気。
だって、去年まではチョコのところに毎日通って、
さらに野良猫保護のために寒風の中待機して・・・という日々だったんだもの。
それを思い出すと、本当にこの冬、私は幸せだ・・・と改めて実感します。

でも、それにしても厳しい寒さ。
この冬は暖かい下着をいっぱい買ったよ(笑)
が、日々の生鮮食品の買い物は面倒で、極力外に出ない毎日。
だって、うさぎがいるわけじゃないんだから、
無理してまで葉野菜や果物を買いに出る必要もないんだもん。

どんな吹雪だろうと、ふぉーちゃんのための春菊、
チョコのために青梗菜を求めてスーパーのはしごをしていたのがウソみたい。


などと、懸案だったチョコの引退が実現して何の心配もなくなり、
今とても私的にはラクになった日常を思うと・・・

ふつふつとうさぎ恋しさが。
心配の耐えない毎日、また吹雪の中野菜を買い求めて歩くのか・・・と思うと、
それまたゲンナリしちゃう気持ちもあるけれど、
でも、やっぱりうさぎにはうさぎだけの良さがあることをこれだけ知っているニンゲンですからね(笑)

やっぱり猫たちとの共棲を考えると、ふぉーちゃんのように大きな品種の方が安心。
また、実験が終わった日本白色種を、とも思うけれど、
ふぉーちゃんが一昨年末、そして他の2姉妹も去年のうちにすべて亡くなっていること、
3姉妹とも癲癇という疾患を持っていたことを思うと、
彼女らのように、実験動物として限られたコロニーから生産された(あえてこの言い方)
SPF(無菌)動物というのは、あまり健康で長生きな生涯は望めないのかもしれない。

まあ、それでも短い生涯であったとしても、
実験終了とともに薬殺されるはずの命を救い、
数年でも楽しい生活を送ってくれたらそれでもいいと思うから、
ついつい色々検索してしまうのだけど・・・

が、やはりどう考えても、今もまだ里親が見つかっていない元野良の猫親子が片付かない限りは、
これ以上の無理もできないのが現実。

基本、里親さんとは面談の上、相手先の自宅で手渡しということにしていますが、
もちろん信用できる方ならチョコの例にもあるように、
必ずしもというわけではありません。

事情や背景をご理解いただいて、猫親子を迎えてくれる方がいましたら、
(もちろん1匹ずつでかまいません)ぜひご紹介を!

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      モノママ(仮名) 4歳

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      その息子のBio(バイオ・仮名) 2歳

彼らの終生の幸せと、
そして私の幸せなうさぎライフ再開のために(!)改めてご協力をお願いいたします。

※猫たちの里親募集ブログ
Lin家の掟







ニックネーム Lin at 18:36| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月02日

あけましておめでとう

明けましておめでとうございます。

昨年中は、特にチョコの縁談で皆さんの応援をたくさんいただき、
そして、これ以上はない幸せな結果に喜んでいただいて本当にありがとうございました。
永年の心配だったチョコの行く末を守ってあげられたのも、
皆さんのサポートのおかげです。

今年もきっとまた事件が起こるかもしれない。
また皆さんのご支援をお願いすることも勃発するかも。
今年もよろしくお願いいたします。


・・・と、
例年なら、冬休み開始と同時に毎日チョコのところに通って、
特に年末年始はチョコのところ以外にも外暮らしの猫のところを訪問したりで、
ぜんぜんゆっくりできなかったというのに、
今年の年末年始ときたら・・・

行くところがないっ!!!

いえ、もちろん不満はありませんよ。
私だってこの寒いのに、外をほっつき歩くなんていやだもん。
なにより・・・「凍えていないか」「お腹を空かしていないか」という心配をする対象が
私の周囲から1匹もいなくなったのはなんて心安らぐことか。

でも・・・実際には私が見たり聞いたりしていないだけで、
この極寒のなか、体をこわばらせて凍え、空腹に耐えているうさぎや猫や犬が、
きっと今にも命を落とそうとしている現実があることを忘れてはならないと思う。
そして、そのあまりに残酷な現実を知らない振りはしないようにしたい。

それだけに、昨年の今頃はチョコや野良猫ファミリーが暖房の一切ない環境で震えていたのを
ただ見ることしかできなかったのに比べ、
今はチョコが岩手の新しい家族のもとで、
野良猫ファミリーが里親さんや私のもとで暖かにすごしていることが、やっぱりとても嬉しい。
そして、もっともっと、そんな「幸せの大どんでん返し」の子が増えればいいと思う。



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【オオマジメな追記】
今・・・世の中の「ジャパニーズホワイト」の写真をあちこちのサイトで見まくってきたんだけど・・・

いやぁ、やっぱり、うちのふぉーちゃんくらい美人で笑顔でナイスバデの子はいないな、と

世界の中心で叫びたくなった・・・



ニックネーム Lin at 01:22| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月21日

冬至

今日は冬至。
昨年の今日、炎龍が急逝した。

最も夜が長いこの時期―太陽の力がもっとも弱く感じるときに、
太陽のようにまぶしいほど明るくおおらかな子は、
まだ夜明け前の闇の中で突然息を引き取った。

異変に気がついて飛び起き、大きな体の彼女をとっさに抱きかかえたまま、
私は何もできず、そうして息絶えた彼女を呆然と抱いている間にようやく夜が明けた。


私は残念ながらロマンチストではないので、死後の世界も不滅の魂の存在も信じていない。
きっと、そんなことはないのだと思っている。
けれど・・・もしも自分が死んだら、先に死んだ親しいものと遭えるというのが本当なら・・・

炎龍があの大きな体をどさどさ揺すって、びちびち小躍りしながら
「おがざん!」と、あの笑顔で迎えにきてくれるとしたら―
私は死というものはなんてステキなことだろうとすら思う。


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    今でもおまえの匂いを覚えているよ。


炎龍だけじゃない。
ののちゃんにも、ラムちゃまにもまた遭えるというのなら―


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     ののちゃんは炎龍より3週間早く―
     2011年は悪夢のような1年だった。
     3匹の草食ユニットが相次いで亡くなった。


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     ラムちゃまは8月に、壮絶な9ヶ月間の闘病の末に。


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     今にして思うと、天国は天上にあったのではなく、まさにここにあった。
     こんな光景はおそらくもう二度と再現されないと思う。


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     鼠のお姉ちゃんと、巨猫の弟と


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     猫とじゃれるのが楽しくて仕方なかったうさぎと


でも・・・きっともう遭えないだろう。
死んで遭えるものならこんなに嘆く必要はない。
でも、きっともうおまえたちに遭えることはどんな世界でも絶対にないんだろう。
・・・だからこんなに哀しいんだ、と最近は思う。


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     ふぉーちゃん、おまえともう少し一緒にいたかったな。
     ふぉーちゃんのことをどれほど誇らしく思って、どれほど愛していたか、
     ちゃんとおまえに伝わっていただろうか。



※ふぉーちゃんの動画です。
最近は冷静に、懐かしい気持ちで見れるようになりました。
ののちゃんも大あくびしています。
(高画質にしてご覧ください)





今日、プロフィール欄の炎龍の写真を外します。



ニックネーム Lin at 00:00| Comment(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月16日

封印

チョコのために最後の仕事―

チョコの飼育小屋の掃除をしてきた。
なんだかだ言いつつも、私に飼育小屋の鍵を預けてくれて、
いつでも好きに出入りさせてもらい、
最終的には快くチョコを送り出してくれた小学校には感謝しているので、
最後にきちんときれいにしておかなきゃね。


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   チョコの飼育小屋に向かう公園脇の道。
   ここ数日の湿った雪で、木々が雪化粧。
   もう、この道を往復することもめったにないだろうな。


記録的な大雪が続いていたので、思ったとおり飼育小屋の運動場は腰まで雪が積もり、
寝室のドアを開けるために、まず素手で雪を掘らなきゃならなかった。
チョコがいたら、絶対にここまで積もったままなんてことありえない。

飼育小屋に近づいたら、いつも「ちょんこ〜来たよ〜」と声をかけると、
運動場に出られないほど雪が積もっているときでも、
必ずチョコ専用の寝室の出入り口のところから顔を出していたっけ。


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    2週間前にチョコをつれてきた時からそのままの寝室の中。
    ・・・なんだか不思議な感じがした。
    現実感がないというか。


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    寝室の中は+3.5℃。外より3℃くらい高いか。
    この中も厳寒期には-5℃を下回っていた。
    ・・・こんなところにチョコは8年もいたんだ・・・


寝室の中の備品のほとんど全部は私が持ち込んだもの。
手作りのウッドハウス2個に、ウォームシートに、壁の合板に、床の断熱シート・・・
12月4日全校朝礼で挨拶に来たとき、食器だけ先に持って帰っていた。
なので、今日は何も持って帰るものはないので、
ウッドハウスも解体し、布類やおやつ類もシート類も全部ゴミ袋へ。
とにかく、全部、徹底的に廃棄。
ゴミ袋4個にもなった。


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     床の断熱シートと合板を取り除いたら、
     チョコめ・・・手前の中央部分以外は全部掘り進んでトンネルにしていた。
     8年目になって、初めてこんなに掘っていた。


土に混ざった牧草を取り除いたりなんだりで、
土ぼこりにまみれながら2時間。
寝室の中は、私が介入する以前の状態―つまり、「何もない」状態に戻った。
私が介入する以前、チョコは1本の牧草も寝床もないこの場所で寝ていた。


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     寝室のドアを閉めるときに、祈った。
     「ちゃっぴー、今までチョコを守ってくれてありがとう。
     おまえのおかげで、ようやくチョコを安心な場所に送り出せたよ。
     そして・・・もう二度とここにうさぎが入れられないよう、お願いね」と。


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     たびたびチョコに差し入れを持ってきたり、
     チョコを心配して私にいろいろ聞いてくる近所の人がいたので、
     学校でもフェンスに「チョコは里親さんの元に行った」という張り紙を出していたけど、
     私も貼り付けておいた。
     「チョコは幸せになりました」と。


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     すっぽり雪に埋もれるようになっている飼育小屋ともこれでお別れ。
     チョコはもうここにはいない、とわかっていながら、
     冬、帰るときいつもチョコに「がんばれ」と声をかけていた癖が出そうに。


これで、チョコとの縁は一区切りついた。



もう二度とここには来たくない。
ここにこうして飼育小屋がある限り、またいつ新しいうさぎが入れられるかわからない。
(学校にははっきりともううさぎは飼わないでほしいと言ってきたけれど、
やはりこの飼育小屋は「動物飼育」という学習要綱があるため設置されている、ということで、
こうしてこういう設備が校門のまん前にある以上・・・またうさぎが入れられる可能性は高い。
それなら、せめて教室で飼える動物にすべきだ、とは言ってきたけれど、
特に現在の校長先生や教頭先生がいなくなったらどうなることか)


そもそも、ここは初代学校うさぎのちゃっぴーが、
チョコよりさらに過酷な状況で飼われていた場所で―
それでも彼女は9歳まで生きた。


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     初代学校うさぎのちゃっぴー。
     ちゃんとした名前もなかったので、
     私が勝手に名付けて、約半年間毎日のように通った。


ちゃっぴーの頃は、鍵を預けてもらうこともかなわず、
当時の教職員には疎まれ、
結局何一つしてあげられないまま―
ちゃっぴーが病気とわかっていながら、一口の薬すら与えられず、
彼女はたった1匹でここで死んでいった。
当時の私は、やはり今の自分より相当未熟で、しかも勇気もなく、腹もくくっていなかった。
当時の私にもう少しだけの思慮と勇気があれば―

ちゃっぴーの痛ましい死は今もトラウマになっている。
いつか―チョコも誰にも看取られずこの冷たい寝室で息を引き取るときが来るのではないか―
私はただただそれが怖かった。
それを避けたいためだけに執拗にチョコの元に通い、
学校側との関係を保つよう努めてきたような気がする。



チョコが幸せになった今、
ここはまたちゃっぴーの墓標になった。



皆さんの近所にも小学校があるでしょ?
ほとんどの小学校には飼育小屋があるはず。
そこにうさぎがいないか、
もしいたら、どんな状況か一度確認してみてほしいのです。
(おそらく、99.9%、チョコより何倍も過酷な状況のはず)

そしてそれがうさぎにとって適した状態ではないと感じたら―
あなたにできる方法で何か1つ、学校側にアプローチしてほしい。

最終的に、学校や幼稚園などでの動物飼育全廃のために。


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     2008年1月厳寒期のチョコ。
     この頃はまだ小屋の鍵をもらえていなかったので、
     フェンス越しに野菜やペレットを与えていた。
     今から思うと、この頃が一番切なかったな。。。



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2012年12月13日

チカラが出なかったけど

チョコは鸚哥亭(インコテ〜)さんで、
申し訳なく思うほど、とてもとてもとても大事にされていて、
新しい環境にも大分慣れてきたらしく、食欲も十分、
自分からケージから出て遊ぶようになったということです。

もう、安心。
私がよけいな心配をすることももう必要ない。
本当にチョコは強運なうさぎ。
本当に素晴らしい里親さんに巡り会えた。

たびたびこれまでも、私は動物たちに「大どんでん返し」の運命をプレゼントしてきた。
あちゃ、野茂さん、にこ、炎龍。
いつもは私が引き取って、それで大どんでん返しストーリーは終了だったけど、
今回のチョコは、さらに自分以上に幸せにしてくれる人に託して終了という、
うさぎでは初めてのケースだった。

とてもいいことだったと思っている。
なにもかも自分で背負い込みすぎて、そのしわ寄せが背負い込んだ子たちに及ぶより、
もっと発展的で柔軟なストーリーにできたと思うから。


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     出発前夜のチョコ。大好きなアゴこちょこちょ。
     「や、やめれって」


なんだけど・・・

いつもならこの大雪にはチョコの飼育小屋には必ず朝晩行って、
運動場の雪かきやチョコのカイロの取替えを絶対にしていただろうに、
今・・・もうそんな必要もなくなり・・・
毎日自宅前のバス停で降りられる、この不思議な感じ・・・
(いつも自宅からは離れた小学校前のバス路線を使っていた)

うちにいたときも、猫たちの数倍注意してチョコの様子を見て、
体調管理や生野菜の調達やしっこ拭きにあくせくしていたのに、
うちにもいない、けれど、飼育小屋にもいない・・・って・・・

自分でも意外に思うほど、なんだかしょんぼり・・・

チョコが幸せになって、
これ以上は考えられないほど大事にされて、
すべてを新しいご家族に託して、何の不満も不安もないのに、
この寂しさはいったい・・・


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      「そんなにおれっちのことを愛していたのかい?」
      愛しているから、送り出したんだよ。


本当に今まで大変だった。
根性と執念の体育会系の6年だった。
私はどうにも自分のことを自分で好きになれない人間なのだけど、
チョコのことに関してだけは、それでも自分でも「よくやった」と評価している。
だから、チョコを送り出したら、どれほど重荷から解放されてほっとするか、と思っていた。

なのに・・・
重荷の日課が突然なくなったせいなのか、
いつもいつも心配しなくてはならないうさぎの存在が身近から1匹もいなくなったからなのか、、、

なんともチカラが出なかった。


でも、今日くらいになって、やっと・・・
「チョコは私のもとから完全に離れた」という感覚に違和感を覚えなくなってきたような気がする。

本当に、あの里親さんに託してよかった、
チョコのために最善の選択をして、その判断は間違っていなかった、
すべてうまくいったんだ、という感覚。

猫たちの縁談も、いつもそう。
送り出して数日は心配で心配でたまらないけれど、
そしてやがて・・・心底ほっとする。
私の元にいることが何も最善ではないんだ、という当たり前のことを確認できたとき、
私は本当に・・・「いいことした」と思える。




    出発前夜、元気に遊ぶチョコ。



今まだ縁談を待っている保護猫親子が片付いたら、
今度は私が引き取ってエンドとなるストーリーのうさぎを見つけるんだ。





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2012年12月02日

旅立ちの前に

昨日夕方から札幌は大雪。
気温もぐんと冷え込んで-5℃以下。
仕事帰り、チョコの小屋に着いたときにはすでに寝室のドアも容易に開けられないほど
降り積もり、しかもまだまだ止まない様子。

チョコは雪が降り出してから一度も寝室から外に出た様子もなく、
もう冷たくなったカイロの上に座り込んでいて―
寝室の中もちょうど0℃。
飲み水が凍りかけていた。

いつも通りペレットや野菜をあげて、カイロを取り替えてあげて、
運動場の雪かきをして、それでいったん帰宅したものの―

去年まではまだこの程度の冷え込みだったらカイロは入れてあげなかった。
年明け後くらいにはさらに冷え込むし、
チョコは大雪になっても、雪煙を上げて運動場に出て遊んでいたから。
でも・・・今年は雪が降るようになってから、チョコはほとんど寝室の外に出ている様子がない。
寝室の地面に掘ったトンネルが気に入って外に出る気がないだけなのか、、、
0℃くらいの気温で寒がっている様子など今まで見たことがなかったのに。

と、思っているうちになんだか不安がどんどん高まって、
本当は12月4日に小学校の全体朝礼で子どもたちに「チョコは引退します」と説明して
引き取る予定だったので、
「あと3晩がんばれ」と言い置いてきたのだけど―

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       毎日のカイロが欠かせなくなっちゃった。


そうなの。
気になっていた方もいらっしゃると思いますが、
チョコはこのたび、縁あって岩手の方から「ぜひ」にと熱烈ラブコールをいただいて、
12月9日旅立つことになりました。

学校側と何度か面談し、理解をいただき、快く送り出せることになりました。
特に空輸の心配などいろいろあるけれど、
里親さんが当日新千歳空港までとんぼ返りで迎えに来てくださるので、
客室と同じ室温の専用スペースで行くことができます。


チョコにとっては、きっと最初で最後のチャンス。
なにより、チョコを心から迎えたいと熱望してくださる方のもとなら、
きっと楽しい安らかな余生を楽しめるはず。
それで、チョコを託すことに決めました。


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     先日、生まれて初めて動物病院でレントゲンを撮ったよ。
     循環器や骨格や呼吸器などに異常があったら飛行機に乗せられないからね。
     もし、、、万が一異常が見つかったら、私が引き取ることに決めていました。
     「ここ、どこさ・・・」


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     レントゲン撮影の時に大暴れしたらしく、直後は心臓麻痺を起こすのではと震え上がるほど
     すっかりヘタってしまって・・・
     仕方ないよね、これまでこんなことされたことないんだものね。


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     帰りはダウンの中に抱いて。やっぱり、怯えるうさぎにはこうしてあげないと。。。
     ラムちゃま以来だ。ダウンの中にうさぎを抱いて歩くのは。

  

検診の結果は、脊椎に椎間板ヘルニアの兆候こそあれ、
骨もまだしっかりしていて、心臓や肺や消化器官にも異常は見当たらず。
どこまでも空輸は心配だけれど、
考えてみると、空輸の際に誰かに無理やり体を固定されるなんてことはないわけだから、
レントゲン撮影よりはチョコにとってはマシかも。

それでも、レントゲン撮影のショックで体調を壊したのではないか、と気になって、
仕事に行く前と帰り、必ず寄って見ていたのだけど、
食欲はあるし、私にもいつも通りにすり寄ってくるから
ショックの後遺症はないと思うのに・・・やはりほとんど寝室から出ている気配もなく。
やはり・・・今のチョコには寒さが辛いんだと感じた。

で、学校側の要望で、12月4日全校朝礼で子どもたちにチョコが旅立つ説明をして、お別れをさせて、
そのままチョコをうちにつれてきて、
で、9日新千歳空港で里親さんに引き渡す―という予定だったんだけど・・・

もしかしたらこのタイミングの引退は、本当にギリギリだったのかも。
今のチョコにはこの寒さに耐えられる限界なのかも。
あと3晩だけだから、と無理を強いたために、
せっかくの目前のチャンスをふいにしてしまうことにでもなったら―

そんな不安でいっぱいになって、
結局・・・大雪の中またチョコの小屋に戻っていって、チョコをうちにつれてきちゃった。

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      「へへっ2ヵ月半ぶりにお邪魔します」


12月4日の挨拶の時にチョコも同伴させて子どもたちとお別れさせて来ればいいでしょう。


・・・・・・・・・私、ここ数年でこんなに安らいだことなかったかも。
吹雪のなか、寝室の中も凍り付いているこの季節に、
チョコはもう寒い思いをすることもないんだ、という安堵感。
ちゃんと食べるものがあるだろうか、きれいな水をもらっているかと
もうそんな心配しなくていいんだ―

チョコがそばにいる気配を感じながら、なんだか何時間でも眠れそうな気がする。


ずっとチョコの行く末を心配してくださった皆さんに感謝申し上げます。
正直・・・観念して私がチョコを引き取る心積もりでいましたが、
思いがけず良縁を結ぶことができました。
ご自身のブログでチョコのことを取り上げていただいたり、
呼びかけてくださったり、励ましていただいたり・・・本当にたくさんの方々にお世話になりました。
ありがとうございます。
うさ飼い同士の温かい思いやりに胸を打たれました。


20121202cho2.jpg
       「おれっち、やっぱしLin家の息子になっちゃったの?」
       ううん、本当の家には9日に出発するんだよ。


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       「ここ、あったかいね」うちにつれてきてからもカイロを入れてあげてます。
       それでもカイロの上に乗っかってるんだから、今までどれほど辛かったことか。


先日、病院の帰り、チョコをダウンの胸元に入れて歩きながら、
しみじみ思った。
うさぎはこんなにもろくて繊細で心もとない。
今まで何度そう実感してきたことか。
だから、猫たちには多少のことなら我慢させることができても、
うさぎにはそれができず、どうしても過保護にしちゃうんだ。
でも、、、
うさぎというものは、大事に大事に大事に大事に大事にするものなんだ、と。


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      あと1週間、楽しく過ごそうね。
      まいこ〜とルカちゃんもチョコと遊びたくてうずうずしてるよ。
      「・・・・へへっ」







ニックネーム Lin at 22:27| Comment(8) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月04日

願い

春が近づいてきました。

今の私の切なる願いは唯一つ。

今、保護している猫ファミリーの養子先が決まったら、
また、うさぎを迎えること。

ふぉーちゃんのように、大きな子を。
もし、またふぉーちゃんと同じ境遇の子が里親を希望していたら、
同じ境遇ではなくても、行き場がなくて困っている大きな子がいたら。
だから、本当に早く今の猫の保護プロジェクトは完了したい。

大きな子にこだわるのは、猫たちとの共棲のこともあるけれど、
やはりまだ炎龍に未練たらたらだからでしょうか。

・・・正直なところ、「未練」どころではありません・・・
情けないことに。

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    今、ラムちゃまとののちゃんと炎龍のフォトブックを製作中です。
    

ほとんど毎日、平日もチョコのところに通いつめています。
とても目が離せない。
私が行かなけりゃ、チョコは確実に飢えることがわかっているから。
なんとか平日くらいは私が確認しなくても安心していられるようになればいいのだけど・・・

どだい学校なんて環境では
何も期待できないし改善もムリ、
そもそも最初から動物を飼うべきではないという思いを強くするばかり。

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    昼間に行くと、こうして寝ていて声をかけても目も開けない・・・
    そろそろ8歳くらいになるのかな・・・



ニックネーム Lin at 20:17| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月10日

いつか

炎龍の姿が消えてから、なんだか私自身の時計も止まったままのような気がしている。

普通に仕事をし、人と話し、笑い、
猫たちを愛し、猫たちの里親探しを延々と続けているけれど、
それは―それが私に与えられた義務で、
それがまたなんとか私を生かしていると感じているから。
けれど、炎龍の死を知らない人に「あの大きなうさぎは元気?」と聞かれても
いまだ私は「実は」と口にできないでいる。
「うん、元気」と返しては、急いで別の話題ではぐらかす。


今も毎日のように襲ってくる絶望感をどうしたらいいのか。
しばらく、炎龍が待っていない家に帰るのがたまらなく苦痛だった。
彼女が死んだ後すぐに、急いで家の中からうさぎに関係するものを排除した。
うさぎがいなくなって得られたわずかばかりの余裕を、極力実感しようとした。
なのに、今もスーパーで彼女が好きだった野菜やバナナを見るたび、
帰途のバスの中で、ふと彼女がもういないことを思うたび、
目が覚めて、彼女が二度と私を起こすために息を吹きかけることもないのだと気づくとき、
私は―心底がっかりする・・・
小学校のうさぎのチョコの頭をなでるたび、私はそのうさぎの無心な魂と
繊細でもろいからだの感触に、なつかしくて愛しくて涙がこぼれる。
そんな毎日だ。


きっと、
ラムちゃまやののちゃんのように、徐々に近づいてくる死の予感は
心の準備をさせてもらえる時間があったけれど、
炎龍はあまりに突然の死だったために、まだ私の気持ちが現実に追いついていないだけ。
これまでにも「突然」と感じられる死は体験してきた。
思い返すと、どれも私には手痛い体験で、今も大きな傷跡となって残っている。

だから、きっといつか彼女のことを穏やかに話せる日が来ることも知っている。
それまで、私は永遠に失った愛しいいのちのことを、繰り返し繰り返し
深い絶望感とともに思うしかないのだと思う。
その絶望感に慣れた頃、私は再びうさぎと暮らせるようになるかもしれない。

新しいうさぎと出会って、その子との年月が重なるにつれ、
いつも「この子がこれまでの中でも一番愛しい」と感じてきた。
炎龍は最後のうさぎだったから、彼女が私にとって結局一番愛しいうさぎになった。

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    いつか、乗り越えたと感じられたら、きっとまた―
    炎龍に負けない、とびきり大きなうさぎを。
    炎龍のように、いつも笑っていてくれるうさぎを。

炎龍の、どこまでも晴れ渡った空のような魂の明るさ、
屈託のなさ、何の迷いもなく私を信じ愛してくれた一途さ、
猫たちへの寛容―
彼女のピュアな精神性を味わえただけでも私は感謝すべきなのかもしれない。
私はいつも、彼女の精神性のかけらでも自分が備える人間だったら、と思っていた。
うさぎごときに尊敬の念を覚える人間なんておかしいだろうか。
それだけに、彼女を失った後の私は、ただ息をしているだけの塊、と感じてしまうんだろう。


今も、たまらず「ふぉーちゃん」と口に出すと、
猫たちがあわてて家の中を見渡したり、
特に千夜は急いで探しに行こうとする。

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    炎龍が死んだ朝、猫たちはしばらく彼女の死に気がつかず、
    横たわる遺体のそばで屈託なく過ごしていた。


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    夕方くらいになって、やっと千夜は炎龍が死んだことに気がつく。
    近づけなくなった。

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    チョコのもとには、冬休みが終わった今もほとんど毎日行っている。
    あまりに寒さが厳しいのでカイロを入れてあげている。
    去年の秋に、寝室の地面と壁に断熱シートを入れたせいか、
    外より寝室の温度は+5℃くらいを保てるようになって少し安心。







ニックネーム Lin at 13:20| Comment(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月01日

ありがとう

ご心配いただいてるのをわかっていながら、
いまだ何も語ることができずにいます。
申し訳ありません。

しかし、なんとか毎日を送っています。
私のもとには3匹の猫がいて、一時は猫たちの方が炎龍の死を嘆いて大変だったし、
昨年夏からずっとなんとか飼い主を見つけようと通い続けている半野良猫一家も、
そして炎龍が亡くなった直後から冬休みに入ったチョコも
私に「休んでいいよ」とは決して言ってくれないので。
むしろ、いやでもこうして動かざるをえないことに感謝しなくてはならないのかもしれません。

昨年私は3つの大切な大切な命を失いました。
ほとんど「次々」と。
半野良ファミリーも2つの命が無残に消えていきました。
このことをどう語ればいいのか、今の私にはまったく言葉が見つかりません。

しかし、私は自分を信じています。
時間がかかっても、私はいつまでも泣いてはいないでしょう。
私を悲嘆に暮れさせるのも彼らなら、
私を笑わせてくれるのも、やっぱり彼らしかいないので。

炎龍や私に対して、あたたかい慰めや励ましのメッセージの数々、
カードやお花、プレゼントをありがとうございました。
いつも私を支えてくださること、感謝の言葉もありません。
御礼が遅れている失礼をお許しください。

皆さんにとって2012年がよい年となりますように。

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ニックネーム Lin at 23:08| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月21日

炎龍、急逝

私の家から、うさぎがいなくなった。
1匹も。
そんなこと今まで一度も考えたこともなく、
実際この家に暮らしてからの18年間、一度もなかったのに。


今朝6時30分ごろ、炎龍が急逝しました。
激しい物音で目が覚め、駆けつけると炎龍はすでに不自然に仰向け状態にひっくり返っていて、
「癲癇の発作?なに?」と、灯りをつけるまもなく体勢を直して抱きかかえ、
背中をさすったりしているうちに程なく、大きな声で泣きはじめた。
凍りついた。

「さようなら」でも「痛い」でもない、
彼女は「助けて、死にたくない」と、大声で何度も何度も哀しげに泣き叫んだ。
私もふぉーちゃん、と絶叫して、さらにさすっているうち、
泣き止んだとたんに息の吸い込みの間隔が徐々に間遠くなり、そしてついに止まってしまった。
失禁して、よだれが流れていた。

その間揺さぶり、体をさすり、叩いてもどうにもならず、
息が止まってからも心臓マッサージと人工呼吸を30分以上続けたけれど、
彼女が息を吹き返すことはなかった。
私が駆けつけ、息を引き取るまで、わずか1分足らずのこと。

こんなことって。

あまりのことに納得ができず、
午後かかりつけの病院で剖検をしてもらいに、まだ温かい体のふぉーちゃんを抱いて行った。
けれど・・・剖検前のレントゲンでは何か喉に詰まらせたとか、腸閉塞を起こしているとか、
あるいはどこかに腫瘍があった、転んで頭を打ったというものは一切見当たらず、
となると、もともとてんかんを持っていたことを考えると、
数年ぶりの大発作に多臓器不全を起こして亡くなったと考えるのが妥当で、
結局、脳組織の剖検までは行えないため、そのまま傷をつけずに帰宅した。


私が就寝してからわずか3時間半後のこと。
ここ数日は機嫌も体調もよく、昨日はOFF日だったので、
ほとんど彼女は甘えて私にくっついていた。
ほとんどの時間を彼女はリビングで過ごしていた。
体調や機嫌が悪いとうさぎ部屋から出てこないので、やはり気分がよかったということだ。
夕べのごはんも完食していたし、ウンチもいつも通り大量に転がっていた。
まったく病んでいた形跡がない。
だからこそ、癲癇発作だ、と言うのだけれど―

ここ数年痙攣発作もなく、小さな発作はたまに前足を数秒突っ張らせる程度で、
この程度なら服薬の必要はないと主治医も私もそう判断していた。
癲癇は、重積発作の場合には死に至るとは知っているけれど、
たった一度の大発作で命を落とすなんてことがあるのか。。。
その点は医者が言うように「まったくないとは言い切れない」と片付けるしかないのか―
私が見たときには痙攣すらしていなかった。
私は動物たちの異変にすぐに気がつくよう同じ部屋で寝ているので、
大きな物音以前に何度も炎龍が発作を起こしていたことに気がつかなかったとは考えられないし、
同じ部屋でケージで寝ている猫たちも、炎龍が何度も発作を起こしていたのなら
必ず鳴いて騒ぎ出すはずだけど、それもなかった。
唯一ケージ外に出ている千夜も、私が飛び起きるまで一緒に布団の中で寝ていた。
それでも癲癇発作が死因というんだろうか。

いったい何が炎龍に起こったのか。
わからない。

帰宅後、まだ温かみの残る炎龍を抱いて横になり、
そして先ほど・・・炎龍は小さなお骨になりました。
手足や耳、頭部は硬直が始まっていたけれど、お腹はまだ温かみが残っているのに
荼毘に付すのはあまりに惜しく申し訳なかったものの、
けれど次のOFF日まで遺体を残したままにしておくこともできず。
猫たちもすでに動揺しているので。

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       昨日の炎龍とまいこ〜。

泣いても泣いても、どう叫んでも、大事な大事な炎龍を失ったこの痛み、
この悔しさはどこにも吐け口がない。
私の哀しみの何倍もの悲哀をこめて泣いた炎龍。
うさぎがあんなに哀しげに泣きじゃくるなんて。
なのに私は何もできず、一口の薬を与える間もなかった。
ラムちゃまを失って4ヶ月、ののちゃんを失ってわずか3週間でこんなことになるなんて、
私は、私の家はどうなっているんだろう。

何もかも終わってしまったように感じる。
だってこの家に、私のそばに1匹のうさぎもいないなんて、
何か大きく宇宙の法則に反しているような気がするから。

ののちゃんを失ってから、これまで以上に炎龍が愛しく大事に思えてならなかった。
なのに、なぜそれほど大切なものが奪われていくのか。
炎龍のいない世界は無意味。
私はもう元気になりたいとも思わない。



これまで炎龍をかわいがっていただいて、ありがとうございました。

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ニックネーム Lin at 20:24| Comment(19) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月13日

炎龍天下

すっかり元気を取り戻して、やれやれ・・・の炎龍ですが。

私が在宅の時にはもうほとんどうさぎ部屋の中にはとどまっておらず、
だいたいいつも私の後をついて、
私が何をしていようと何を言おうとお構いなく、ジーンズの裾を引っ張って「なでれ」と強要。

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     「おがざーーーん、愛すてるぅ?」
     愛してますとも、ふぉーちゃん、そんなに突進しないで・・・

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     「おがざん、おがざーーん」
     お股に食い込むうさぎ・・・

もちろん私が座っているときには常に横に侍ってべったり。
・・・なだけなら、かわいいアマちゃんで済むんだけど、
この時も私のなでる手が一瞬でも止まろうものなら、すぐにジーンズをくわえて引っ張る。
・・・このとき、不本意とは言え、中身まで咥えられて飛び上がる、という惨事がたびたび。

怖いんです。。。ほんとに怖い。
だってハンパじゃなく痛いんだもの。
すねの辺りをあの歯で咥えられるのは。
ジーンズの上から、「咥えただけ」でも、後が真っ黒になる。
ペンチでつねられた状態。

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     「なでるの、止めたらダメです」
     でゃあぁぁ、身まで噛むな〜っ

つまり、私はいつも「なでないと噛むです」という炎龍の脅迫に怯えているわけ。
と言って、彼女は攻撃で噛み付いているわけではないので、
むやみに叱ることもしたくないし。

猫たちも常に私のそばに炎龍がいるので、私に甘えるのは彼女の様子を伺いながら。
猫が膝の上にいようと、ヘタをするとその猫の尻尾まで咥えることがあるから、
猫たちも炎龍の動向にびくびく。

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     「ままーん、ふぉーちゃんが怖いにょ・・・」
     特にルカちゃんはふぉーちゃんの予期せぬ行動にいつもびくびく。

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     これこれ、スリッパ食べちゃダメ。
     ふぉーちゃんの大好物とは知っているけど。

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     いつも猫たちと寄り添ってはいても、やはり何か満たされないものがあるのか・・・
     今になって奴らがうさぎではないと気がついたか。


ま。よいです。
大事な彼女がそれで気分がいいなら。
なんだか、一人っ子時代のテポを思い出した・・・



それにしても・・・(そろそろ今年のまとめに入ってもいいかな?まだ早いかな?)
今年は大変だった。
すべてどうぶつたちのことで。
もしかしたら、これまでの中で一番の試練の1年だったかも。

前半は昨年から続いていたラムちゃまの闘病、
そして夏から近所の野良猫ファミリーの保護・養子斡旋プロジェクトを開始し、
ほどなくラムちゃまは他界し、
そして3ヶ月もしないでののちゃんが病んで他界し――
そして先日はこの4ヶ月間ずっと保護しようとしていた野良猫の子猫が車に轢かれて亡くなり―

その子を思う気持ちだけでは、
私一人の力だけではどうにもならない宿命と現実を突きつけられた。
そんなことが続いた。
それでも、その間たくさんのうさぎ友だちや猫友だちが私を励まし力づけてくれた。
なにより、やっぱり炎龍やうちの子たちが私の支えとなってくれた。

でも、問題は山積したままで翌年へ持ち越し。
先の見えない不安、現状を変えられない焦り、
そしてそうしているまにも手の届かないところに逝ってしまう子たち―

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     もちろん小学校のチョコも元気に過ごしています。
     誰にも頼れないから、この間も週に3度は通っている。
     すでに2度チョコの小屋の雪かきをしたよ。
     「へへっ」

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     「雪の山ができた。おれっち、ここ登っていいの?」
     雪かきしてできた山にチョコが登るから、ズボッと埋まらないよう固めておいたけど・・・

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     チョコ、果敢に雪山に挑戦中。遭難するな。

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     登頂を諦めて、雪だるま製作に切り替えた。
     この子もこの冬元気に過ごしてくれることを祈るばかり・・・


と、簡単に振り返って、簡単にこれからのことを考えようとすると・・・
ふと気がつく。

どうも私のハートはカラカラのようです。
乾いているカラカラではなく、空っぽのカラカラ。
何も残っていないような―

きっとこれは、私自身が自己防衛手段として、
あえてみずみずしいものを受け入れないようにしているんだろうと解釈している。
ここで正常な感情を取り戻しても、きっと私自身はその水溜りでおぼれてしまうんだろう。
それは計画が一段落してからでいい・・・

大丈夫。
私のそばには私が自分以上に大切に思う命であふれているから。

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      たいていにゃんこたちもうさぎ部屋の中にいることが多い。
      ・・・この後、炎龍がまいこ〜を遠慮なく踏んでリビングの方に。

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     「・・・・ねぃにゃん、予測不能だにゃ」
     「そこにいた坊やが悪いですよ」


しかし・・・
ののちゃんがいなくなってから家の中の静かなこと。
彼女だっていつもいつも鳴いていたわけじゃないのに、
それだけ彼女の存在感は圧倒的だったということ。
彼女のいつもまっすぐな魂とエネルギーにこの家は満たされていたんだ・・・

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      この頃、ちょっとした表情や仕草が驚異的にかわいく感じて、
      まさに神様がくれた奇跡だ、などと本気で思った。
      そうしたらその直後―
      神様からのシグナルだったのか・・・大事なものを今から再認識しなさい、という。





ニックネーム Lin at 11:19| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月04日

落ち込んじゃった炎龍   と、飼い主

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     たくさんのなぐさめ、励ましのコメント、メール、お花やカードをありがとうございました。
     ののちゃんを愛してくれて、ありがとうございました。
     ののちゃんの豊かなロングヘアーを一房、遺しました。

8月にラムちゃまが逝ってしまった時より、
なぜだか私のモードが落ち込んだまま。
ラムちゃまの場合は、覚悟の期間が長かったからなのか、
ののちゃんの場合は、故ハイジの二の舞、何とかできたはずでは、という思いが強いからか。

そして、意外なことに、ラムちゃまのときはぜんぜん大丈夫だった炎龍がすっかり落ち込んでしまった。

ウサギ部屋はいつでも開放しているのに、ぜんぜんそこからリビングに出てこようとせず、
片隅で横になってばかり。
猫たちが寄っていっても無関心、私にはいつもしつこくまとわりつくのに、それもなく―

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     「ねぃにゃん、どうしたんにゃ?にゃ?にゃ?」
     猫たちが心配するほど。

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     一時、熱まで出して。
     ちぃやが看病してくれた。
     「おねいにゃんまで具合悪いにゃんて、ちぃはやだにゃ・・・」

なぜ同族のラムちゃまが逝ってしまったことより、
種族の違うののちゃんの死が影響大きいのか。
そこのところは炎龍の心の問題なんだけど・・・

昔・・・仲間のウサギが1匹もいなくなったら、
故・野茂さんがひどく落ち込んで危ないことがあったことを思い出した。
そして、何より、うちはなぜだか不幸が1年以内に2度3度続く。
今回はののちゃんの死をもって終了としてほしい。
絶対に。

幸い、昨日の夜からキゲンがよくなって、
いつもリビングにいるようになったし、
私にも「なでれ」攻撃が復活して、おそらく・・・これで大丈夫なんじゃないかとは思うものの―

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      「ねいにゃん、まいきょがついてるからにゃ」
      「坊やはやさすいですね・・・」

草食動物は本当にもうほとほと・・・という気持ちと、
でもやっぱりうさぎなしには私の人生は成り立たない、という実感もあり。。。

だから、炎龍はますますもって大事な大事な存在。

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      夕べからやっといつもの炎龍の表情に戻った。
      いつも笑っていてね。
      笑っていてくれないと、母さんまた胃が痛くなる・・・ 

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      こちらも衝撃。
      野の子が亡くなった翌朝から、やっぱり千夜が大泣きして探し回る。
      彼女にとっても、ののちゃんの死はつらいものだった。
      「にょんねいにゃん、どこに行っちゃったんにゃ?」
      (心霊好きな人が言う「オーブ」?が周囲に写ってる―ただの埃でしょ―けど、
       もし本当にそうだとしたら、きっとののちゃんやラムちゃまの魂だね)


・・・しかし、モルモットのいない生活もまた―なんと味気なく感じることか。
ののちゃんは私の太陽だった。

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       亡くなる時、口元に野の子の顔をくっつけて寝ていた。
       かすかな動きや呼吸の変化もわかるように。
       まだ、ののちゃんのかすかな息遣いが唇に残っている。
       亡くなった後、「ののちゃんが生き返った!」という、しょうもない夢をみた・・・






ニックネーム Lin at 20:28| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月29日

おやすみ、ののちゃん

ののちゃんが永遠の眠りに就きました。

今日は1日中、いつ息を引き取っても、という状態で目が離せないでいたけれど、
それでも強制給餌や投薬でもしっかり飲みこむ力は失せず、
もしかしたら明日朝まで頑張ってくれるのか、と思うようになっていた。
この状態になってからすでに丸3日。
信じがたいほどの生命力だ。

でも9時過ぎに、少し様子が落ち着かなくなったので、
撫でてあげると落ち着くため、フリースにくるんで抱き続け、
そのまま顔をくっつけあって私も横になって、うとうとしている間に―

なので、彼女の最期は意識にないのだけれど、
何か夢を見たような気がして目を開けたとき、
まだすぐに死んだと気がつかないほど体も温かかったので、
本当に静かに静かに、ひっそりと息を引き取ったようだった。
鳴き声一つあげず、みじろぎもせず―
おそらく、29日になるほんの少し前。

これまでで一番いい看取りだったのかしれない。
しっかりかかえ抱いて一緒に寝ている間に、彼女もまた眠るように息を引き取った。

ありがとう、ののちゃん。
あなたがどれほど私の心を明るく照らし続けてくれたか、
あなたの存在がどれほど私を慰めてくれたか、
それは正直―ウサギや猫以上のものだった。

そして、治してあげられなくてごめんなさい。
いつも私を信頼して、愛してくれたのに、何も応えてあげられず―

もっと一緒にいたかった。
あなたほどかわいくて勇敢でまっすぐなハートのねずみはいない。

さようなら、nonno-野の子。

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     21時過ぎの頃の、ののちゃん。
     ずっと朦朧としていた感じだったのに、
     この時だけとてもはっきりと覚醒していた。
     いつもの、ののちゃんの表情だった。




ニックネーム Lin at 01:45| Comment(10) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月27日

静かなののちゃん

ののちゃんは昨日から、もはや歩くこともできなくなってしまった。
ゆうべからずっと彼女のそばで、少しずつ投薬や強制給餌、そしてひたすらなでている。

ずっと、こんなに頑張ってきているのに。

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     25日夜までは自分でケージから出て、ゴハンを食べる炎龍に触発されて、
     一口程度は自分で食べてみたりもしていた。

今も強制給餌の後は、「口の中に何かが入る感触」を思い出すのか、
牧草を口にしてみたりもするし、
わざと至近距離で炎龍に何かを食べさせると、
その気配が刺激になって、自分も野菜やペレットを口にしようとするけれど、
もう・・・夕べからは固形物を噛む力も失ってしまったようで、
ただ口を動かすだけで、その中には何も入っていない。

2日前からは下痢もし始めていて、整腸剤なども一切利く様子もなく―
長く病んでいた子の最後に見られる特徴だ。
体全体の臓器の機能も失われ始めているのだと思う。

ののちゃんは決して諦めていないのに。

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     昨日からカイロも入れてみた。これは気に入った様子。

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     投薬や強制給餌を抵抗する力も弱くなった。
     それでも撫でると、嬉しそうに気持ちよさげに目を閉じる。

ただ一つ、おそらくこれが彼女にとっての最後の幸運は・・・
もはやあまり痛みも感じなくなったのか、痛がって鳴くことがまったくなくなったこと。

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     今はもう静かに横たわるだけ。

私は何も学ばなかった。
故ハイジの痛ましい死から、そしてこれまでの子たちの死からも。
学んだところで、彼女を救う手立てがあったかどうか―
そう思うのは結局学ばなかった人間の自己弁護でしかないけれど。

そう思うのは、
彼女が私を愛してくれているから。
「ののちゃん、おかぁちゃま、ここにいるよ」と声をかけるたび、目が笑うから。
彼女はこんなときでも、きっと私が何か自分にとっていいことをしてくれるに違いない、と
揺るがず信じている。

なのに私は、
こうして静かに沈んでいく命を、私もまた静かに、ただ、見守るしかない―

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     愛しているよ、私の世界一愛しいねずみちゃん。




ニックネーム Lin at 12:30| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月23日

絶望なんかしない

ののちゃんの病状は日に日に・・・いい材料は一つもなく。
出血の量も増える一方なので、悪化していることは明らか。

けれど、ただ一つだけ希望が持てるのは、
ここ2日ほど彼女は痛みに耐えながらも、少しでもチャンスがあれば
自分で何かを食べようとしていること。

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     もう生の野草はないけれど、夏の間に乾燥させておいた野草をちょろちょろ食む。
     よかった・・・乾燥した野草を作っておいて。

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      自分からケージを出て、牧草箱の中に入って牧草をつまむ。
      青梗菜やにんじんを口にすることも。

投薬や青汁の強制給餌も欠かせないけれど、
様子を見計らって、自分で何かを食べようとしているときは
なるだけ・・・彼女の好きなようにして「食べること」への意欲がそがれないようにしている。

強いなぁ。
ののちゃんは生きることに前向きだ。
生きなきゃならない、ただその一念で一生懸命口に入れようと頑張っている。
理屈じゃない。
いのちというのは、それだけから尊い。

私はただただ彼女の生きようとする意志を、
持てる力の限りサポートするしかないだけ。

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       「にょにょねいにゃん・・・元気出してにゃ」
       ののちゃんを膝において投薬や強制給餌が始まると、猫たちが心配げな表情で集まる。

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       「泣かにゃいで。りゅかちゃんも哀しくにゃるよ」
       特にルカちゃんは、ののちゃんの泣き声に動揺するのです。

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       「るぅちゃん、あたちゅい頑張ってるから、るぅちゃんも泣くんじゃないでちゅよ」 


ののちゃんは気が強いところがあって、
私以外の人が、特に口元をさわろうとすると、反射的にサクッと噛み付いたりする。
けれど、私には絶対に、これまでも一度も噛み付いたりしたことはない。
嫌がるのに、無理やり強制的にシリンジを口に入れるときも、
青汁で濡れた口元をぬぐうときも、絶対に。

こんなに小さなねずみでも、
自分にとって私というニンゲンが多少は・・・大切な存在に思ってくれていることが
哀しいやら、いじらしいやら―

ラムちゃまとおんなじ。
どんなに辛くても、私がなでると嬉しそうに、心底安心したように目を閉じる。
よっぽど、食べ物をもらう以外に求められない存在の方が気が軽い。。。

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      こんなに抱いてなでるのは、今までに一度もなかったね。

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      「ののねぃにゃん、まだ治らにゃいのか」
      「坊やも励ましてやるですよ・・・」




      
ニックネーム Lin at 23:51| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月18日

ののちゃん、疲れたね・・・

今日、ののちゃんはもう何も口にしていない。
夕べはまだ一口バナナとキュウリをかじってくれたけど、
今は2,3時間おきに私が強制的に与える青汁のみ。
すでに体力の限界が来ているので、通院も危険になってきた。

日に日に出血の量が増えてきた。
・・・結局、これは故ハイジと同じ病気だったと認めざるをえないか・・・

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      辛そうな表情が増えてきて、ほとんど動かなくなってしまった。

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      日中、投薬や強制給餌のときはまだいつものきかんきな表情もあったけれど。

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      今はもう痛みに耐えることに疲れきった表情になってしまった。



ニックネーム Lin at 00:00| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする